私の学生時代には、図書室の資料を丸写しして「自分のレポート」として提出する生徒なんてたくさん居たんです。
普通はレポートって、調べたものを色々組み合わせて、自分なりに考察して作るものだよね。
最近、人間って昔っからそういうとこある生き物なんだよなあって思うような事例が色々あります。
AI作品を「自分の作品」としても別に違和感を覚えない人って、いっぱい居るんだと思います。
多分昔AIが無かっただけの事で、思考回路自体は今に始まった事でもないんだよね。
AIで出来た作品(?)は、自作への資料とか参考としては、利用価値があるんじゃないかと思う。
ただそれを、全て自分が作ったものとして堂々と発表できる人もいっぱいいて、流れとしてそれは止まらないだろうと思う。
そういう行為に罪悪感を持たない人の存在は、何も現代に限った話じゃないからです。
昔のレポートだって、丸写ししない人はしなかった。
昔に比べて、見破って咎める感覚は、全体的に薄くなってはいるよね。
趣味と学校の単位とは、ちょっと性質違う話だけど・・
大学の頃は、図書室にある本で何を見たら書いてあるかとか、学生のしてくる事なんかとっくにパターン化されていて、先生はすぐ見破ってた。
そして自作のレポート書けない限り、単位は取れなかった(らしい。聞いた話)
創作分野だと見るものなんて無限だし、見破られなければそのまま賞賛されるだけだもんね。
無断学習とかは、また別分野の問題で難しい。
ただAI利用者の増加は避けられない、と思う話です。
何ていうか、「勝負」がつくのは先の話でしょうけどね。
