自分の叫び声の大きさで、目が覚めたのだろうか。
ほのかに、体に温かみが戻っていた。
あんなに恐ろしく吹き荒れていた風の音は、すっかり止んでいる。
鋭く突き刺さるような隙間風も、今はもう吹き込んではきていないのだ。
「せ・・・・んせ・・・どこ」
その姿を求めるように、私は体をもたげた。
布の塊から這い出ようと、私は左手を床についた。
ふと気がつくと、閉まっていた厚いカーテンの隙間から漏れる一条の光が、まるで細い指輪のようにわたしの指の上を跨いで、部屋の奥まで差し込んでいる。
(明るい・・・)
(吹雪は、収まったの?)
上半身を起き上がらせると、ゴトン、と何か落ちたような鈍い音がした。
反射的に音の方に手をやり、触れたそれを握った。
恐る恐る手を開き、心臓が止まるほど驚いた。
(ふぅ・・・ちゃん)
震える指で、ふぅちゃんを撫でた。
いつも先生が撫でる羽根のあたりが、他のところより少し黒く、艶気を増している。
間違いなく先生の、あのふぅちゃんだった。
「先生、どこにいらっしゃるんですか、そこに、いるんでしょう?」
しんと静まり返る部屋に、人気は感じられなかった。
私はフラフラと立ち上がり、小さなドアの鍵を開けた。
そうだ、鍵はかかっているのだった。
不可思議な気持ちを抱え、私は外に向かって扉を押した。
昨日まで、雪に閉ざされ開けにくくなっていた扉は、事も無げにスムーズに開いた。
開いた途端明るい陽光が、激しくわたしをつつんだ。
その眩しさに、思わず目を閉じる。
もう一度開いた私の目に映る光景は、晴れやかな雪解けの大自然であった。
「先生」
可愛い小鳥たちの囀りが、まるで他愛もないお喋りをするように軽やかに響いている。
「先生?」
湿った暖かい風が、わたしの頬を甘く優しく撫でていった。
「先生ーーーーー!」
雪解けの水が小さな水流になって、わたしの足元に流れを作っていた。
その流れの先で、何かがチャプン、と跳ねる音がした。
春の、花の香りがした。
(水芭蕉?なんで?)
(まだ、2月が終わったばかりなのに・・・)
何度呼んでも、先生の返事は無かった。
やがてわたしの呼びかけは涙声になり、叫び声になり、絶叫へと変わっていた。
高く伸びた木々の、新緑が萌える季節にはまだ早い。
枝に積もった雪が融け落ち五月雨のように、先生を探して森をさまよう私に絶え間なく降り注いだ。
晩秋に落ちた枯葉が、雪の下から露出していた。
柔らかくなった土の上では落ち葉たちが水を吸い、再び生を受けたかのように生き生きと煌めいている。
それは彼らが大地に帰り、この大自然を繋いでゆくための準備なのだった。
短い冬の日の斜陽が、黄色みを帯びて残雪を照らす。
ぽたぽたと落ちる融雪の雫が、太陽の光を乱反射して時に、虹色の輪を描いた。
不意に吹き下ろす突風が、まるで毛細血管のように細かく張った枝枝をゆすり、雫を金色の霧に変え一気に舞い踊らせる。
美しいと、思った。
わたしはペタリと地面に座り込み、髪に金色の風を感じながら、無意識に語りかけていた。
(先生、こんなの、見たことありません)
(綺麗・・・なんて、綺麗なんでしょう)
金粉を纏った虹が薄橙の霧のプリズムを通過する。
その偏光は、残雪を青や緑に染めた。
真っ赤な夕陽が頬を熱く照らし、私の影を黒く長く、くっきりと浮かび上がらせた。
握って来たふぅちゃんを、その紐で私の胸にたらした。
ふうちゃんを沈む夕陽にかざすと、気のせいか先生の言葉が、聞こえて来た気がした。
あの言葉の、続きだった。
( 生 き て )
畑だったところで、先生が残して行った書きかけの論文を全て燃やした。
不思議と、悲しくは無かった。
この論文は、先生だけのものだ。
先生は、この世界のどこかに必ず居る。
炊き上がる煙と共に、先生の元へ帰ればいいと思った。
先生の私物をほとんど処分し、ほどなくして私はこの崩れかけた小屋を引き払った。
そして街に移り住み、図書館司書の職を得た。
ここには、先生の生きた証がたくさんある。
英語や独逸語の難しそうな論文に混じって、子供向けに監修した
「たのしいどうぶつだいずかん」
という本があるのを見つけた。
とても、古い本だった。
巻末に、著者の写真が載っていた。
まだ髭の無い、若き日の先生の姿だった。
出会った日の、静かで品のいい佇まいを思い出しながら、私は一枚一枚ページを大切にめくって行った。
「はっぱのなかをみてごらん」
「コテングコウモリがお休み中だよ」
美しい大自然に囲まれた森の中で、イタドリの葉に包まれた小動物が、コロンと身を縮めて眠っている絵が描かれている。
明るく楽しく、夢いっぱいの可愛らしい図鑑には、先生が語った生き物への愛が溢れていた。
解説文は全て心の中に響き、わたしにだけ語りかけてくれているように思えた。
私は、嗚咽を噛み殺して図鑑を見ていた。
素肌の胸に潜ませる、ふぅちゃんを服の上から握りしめた。
少し上を向いて、溢れ落ちそうな涙を堪えた。
震える肩を自分の手で押さえていたら、見も知らぬ男の子がどこからともなくやってきた。
そして意外に大きな手で慰めるように、私の頭を撫でて行ってくれた。
