恋に落ちた日のこと

行きつけのバーに行くと、いつも一人でチビチビ飲んでいるおじさん。

私は付き合ってる彼氏とうまくいってなくて、いつもおじさんに話を聞いてもらってた。
というか、もう身の下話までぶっちゃけてワーワー喋ってた。

おじさんの

「へーそうなの」
「大変だねー」
「別れちゃえば?」
「んじゃ許しちゃえば?」

みたいな適当な相槌が、いっつも心地良かった。

とうとうそんな男と別れたその日も、バーに行った。
奥のボックス席におじさんを見つけて、早速隣に座っちゃて。

別れてせいせいしたよ、って話をしてたはずだった。
だけどそんな奴だけど、やっぱり好きだった。

そしたらなんか、話しながら涙が出てきちゃって・・
それを誤魔化そうとして

「あー、別れる前ににもう一回ぐらいヤッとくんだった!」っておどけて見せた。

そしたら一瞬だった。
おじさんの真面目顔。

おじさんがグイッと私を、胸の中に引き寄せた。
そして、耳にかかった私の髪に指をかき入れ、囁いた。

「今夜は俺のこと、そいつだと思ってもいいぜぇ」

えっ?と思って顔を上げたら唇にあったかい何かが、柔らかく吸い付く感触・・

やばい、このおじさん。
手慣れてる。

今更分かっても、もう遅い。

柔らかくこじ開けられて、舌がかすかに絡んだ。
と思ったらすぐに、唇はちゅっと音を立てて外れた。

「なんちゃってね」って一言言って、おじさんは私の体をポイっと離した。
そして顎の無精髭をいじりながら肘を膝について、表情を隠すみたいに首を低く傾げた。

私は平静を装いまくった。
そして「もう~困ったおじさんだね」って、背中をバンバン叩いて笑い飛ばした。

おじさんが、顔を上げた。
「てへへ」と頭を掻きながら、照れているのか眉をちょっとだけしかめた。

目元にクチャっと人懐こいシワが浮かんだ瞬間、心臓を一突きされたような衝撃を覚えた。
激しくなる鼓動を、抑えられない。
おじさんに、胸の高鳴りを知られてしまうのが恥ずかしい。

適当にその場を切り上げて、この夜は家に帰ってしまった。

 

それから毎日、ずっとおじさんの事が頭から離れなかった。
あの日の言葉も、いったいどういう意味だったんだろう。

想像、してしまった。
一度思ってしまうと、日中ずっと体が熱い。

人畜無害のおじさんだと思ってたのに。
仮にも好きだった男と別れたばっかりなのに、私おかしいよ、と自分に言い聞かせる。

だけど、おじさんに会いたかった。

どうしようあの日適当に帰っちゃって、私が嫌ったと思われちゃってたら。

おじさん、もしかしてもう、あの場所にいなかったら。

色々怖かったけど、意を決してバーへ出かけた。

おじさんは、いた。
いつもの奥のボックス席に、いつもの顔でいた。

私は心からホッとして

「門倉さん・・・」と名前を呼んだ。

「あらー。俺の名前知ってたんだ?」とあの日みたいに目尻にしわ寄せて、クシャって笑う顔を見て気がついた。
そういえば私、それまで「おじさん」ってしか呼んだことなかったんだ。

(かどくら・・・さん)

心で呼んだら、また心臓がドゥクンと音をたて始めた。

もう多分隠し切れてないのを、門倉さんの方が察してくれた。
見たことない甘い微笑みでそっと身を寄せ、耳元にまた、囁く。

「あー・・今日は店、もう出ようか」

(完)

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