百之助。
よく考えてくれたようだね。お前なら分かってくれると信じていたよ。
不死身の杉元を売ったところで手に入るのは、せいぜい十数億の端した金だ。
もちろん、金はいくらあっても邪魔にはならん。
1ドルでも高く、市場価格を吊り上げるのだ。
それがあの者の価値に、直結するのだからな。
頼んだぞ、百之助。お前になら任せられる。
不死身の杉元をメジャーリーグへ、叩き込む。
ただ意味があるのは金以上に、あのマッドドッグの、存在。そのものだ。
あれを輩出する日本の野球。我が軍の存在を、メジャーリーグに叩き込むのだ。
現状は、国内でのプレイに満足出来ずくすぶっている、とでもすれば良い。
ものなど、なんとでも言いようがあるのだからな。
私はあの男の働きにだって、勿論、期待しているのだよ。
意外に人見知りのノラ坊チャンにオハナシしてあげられるのは、あれぐらいしかいないのでな。
甘いところのある男には違いないが、明るく前向きな話ならいくらでもできそうじゃないか。
プロジェクト終了後は、二軍に帰してやると言ってある。
二軍に戻って、指導の続きがしたいと言うからね。
欲のない話に聞こえるが、さてその真意は如何程か。
百之助はどう思う。
ふむ、今舎弟を増やし、将来の自分の城を作ろうとしているのでは、と言うんだね?
そうだな百之助。私も、それが自然な考えだと思うよ。
現場復帰の条件は、あくまでも「プロジェクトの成功」としよう。
成功したら、本当に戻すのかって?
その時は、またその時だ。
まあ、あれには元々貸しがある。
夜の揉め事も随分、お前が捌いてやったんじゃないのか、百之助?
なに、出来ないと言うなら退団でも、何でも、チラつかせるさ。
妻は、野球をしている男が大の好物だというじゃないか。
二度とユニフォーム姿を見せられなくなるとすれば、愛妻の落胆は計り知れんだろうな・・
・・・くらいは、訊ねてもみても構わんだろう?
しかしあの件は、返す返す残念だった。
美しく聡明な人気女子アナと、大怪我で挫折を味わうやんちゃなMVP男。
賢い妻の見事な手腕、そして麗しい夫婦愛。
男は華々しく奇跡の復活を遂げる・・・
あの男が監督になるまでを愛溢れる感動のストーリーで綴れば、それなりに金を産み続けるコンテンツに仕立て上げられる筈だったのに。
全く、TV業界の奴らめ・・
あいつらにはほとほと参ったよ。
奴らはやはり信用ならないね。
好き勝手し始め、我らの取り分を横取りしようとした。
百之助の言う通りだったね。
あの男に、あんな四角四面の女は合わなかった。
結果、彼らの仲は勝手に壊れ、計画は水泡に帰した・・・
ハハハ。笑っては申し訳ないか。
自分たちの策に溺れて失敗したのは、ヤツらの方ということだ。
彼女の飼い犬に、ひどく噛まれたと言っていたね。
それが別れの決定打になったとも。
表向き女は献身的に男を支えていたが、実際家の事は男に丸投げだった。
写真を撮られた日だって、たまたま女が一緒だっただけ・・
ああ、写真を撮らせるために、わざと女がそうしたのだったね。
普段彼一人で犬を散歩させていたのは、近所では有名だったそうじゃないか。
それにしても百之助・・・やはり、お前は素晴らしい。
よくそこまで調べ上げられたものだ。
お前は、もっと評価されるべきだ。
杉元の件は、足掛かりでしかない。
我らの親会社エヌディーエースは、グループの中でどんどん力をつけている。
あまり派手にやると目をつけられるからな、ほどほどを留意したい・・しかし。
今は徐々に力を蓄え、いつかグループの力を、必ずや利用してやろうじゃないか。
来年もしなくてはならないことがある。
二軍球場の近所に、天才が住んでいるね。
あの子を何が何でも手にいれるのだ。
杉元の退団とともに去ろうとするファンの目を、フィールドを舞うあの碧眼の美少女に、繋ぎ止めさせるのだ。
絶対に、盗られてはならん。
その為にはどんな手でも使おう。心配するな。
ドラフト会議に手を回す準備もしているのだよ・・・
そして百之助、次期GMをお前に任せる為の帝王学を、そろそろ教え始めたい。
いや、お前にとってはGMなど、その後の政界進出への腰掛けでしかないのだろう・・?
大丈夫だ。ただお前はまだ若い。
頭もいいのだし、ちょっと勉強すればすぐに、政界のサラブレッドどもなんか軽く蹴散らすほどの力を、あっと言う間に身につけるさ。
その為には今、出来ることを少しずつやって足場を固めておくのだよ。
今一度、私の考えを伝えておこう。
こんな事を話す相手は、お前だけだよ。
かつての日本国内におけるような、強大なプロ野球人気を復活・復権させるのだ。
現状はどうだ。
今の日本野球はまるで、メジャーリーガーの都落ち、左遷先のようじゃないか。
日本野球はメジャーより遥かに素晴らしい。
緻密で繊細で、パワーだけに頼らない、チーム力がものをいう独自の「野球」だ。
ベースボールではない。心のこもった、「野球」なのだよ。
野球の面白さ・素晴らしさを、ここから世界へ、広めるのだ。
ああ、私は「日本」「アメリカ」などと区別はしないよ。
世界へ野球を広める。新興国などにも広められれば、もっといい。
そしてそういう場所でこそ、いよいよエヌディーエースの出番じゃないか。
鉄道を電化できない地域など、世界にはまだ山ほどあるのだよ。
まるで技術屋たちの魂を無視され、お荷物を拾ってやるかのように吸収され。
そして、球団を切り離そうとした。
あの日の事を、私は決して、忘れやしない。
エヌディーエースには、第七の技術が眠っている。
…………
(背広の胸ポケットに手を当てる)
(古ぼけた写真が2枚入っている)
(1枚は集合写真)
(作業服姿の男性たち)
(スーツ姿の男性、事務服姿の女性たち)
(野球のユニフォーム姿の男性たち)
(その家族なのか、赤ちゃんを抱いた女性や、子供たちの姿も)
(みんな満面の笑顔)
(その後ろに写るのは)
(真っ青な空、そして)
(黒くピカピカに光る、真新しい機関車)
(写真の裏にはこう書いてある)
(1989年4月1日)
(第七車両開発株式会社)
(新型ディーゼル機関車竣工記念)
(「しづか」とともに)
(もう1枚は親子らしい、女性と少年)
(SLのデザインが施されたヘッドマークの前に立つ、笑顔の二人)
(裏には 静香 トクシロウ と書いてある)
(GMの心に浮かぶのは)
(穏やかに一言一言、ゆっくりと話す女性の声)
とくしろうくん
しづかはとっても力持ちなの
今までのどの機関車よりも少ない燃料で
たっくさんのお客さんを運べるのよ
だけど走れないんだって
線路だってもう途中まで敷いたのに
しづかが走るはずだった路線
計画中止になったんだって
みんなで一緒につくったしづかは
どこへ行けばいいんだろうね
みんなで流した汗も 考えた時間も
借りたお金も 犠牲にしてきたいろんなもの
どうやったら
報われるんだろうね
みんなの心は
どこへ行けばいい・・・
************
一晩したらもっと美味しくなるよ、明日も楽しみだねと言って夕食を片付けた。
店の準備も終えて人心地ついたところでなんとなく、一瞬の静寂が訪れる。
「しぃ、今忙しいかい」
ソファに座った彼が、キッチンから戻った私に声をかける。
私は、大丈夫よと首を横にふった。
私が隣に座ると、彼は話し始めた。
「昨日な、ノラ坊に会いに行ってきたんだよ」
「あら杉元くん」
「あいつの最近の調子、どう思う」
杉元くんは、今や球界を代表する二刀流。
押しも押されぬ日本のスーパースターに成長した。
「今年はどうも、波に乗れて切れてないみたいだよね」
打率.230程度、防御率は4点台。
負け数が先行し、正直エースで4番では物足りない内容だ。
「体のキレがいまいちかな。一挙手一投足、何でも迷いがちっていうか」
具体的な事は素人の私が言っても仕方がない。
とりあえず見たイメージを話した。
斜め上に目線を上げ、杢太郎さんがため息をつく。
「・・・あいつでも悩んだりすんのかな・・・」
「杉元くんに何かあったの?」
「杢太郎さん、杉元くんのために帰国したの・・・?」
「いや・・・・・」
しばらく考え込む沈黙の後、杢太郎さんはゆっくり口を開き始めた。
「しぃには、話しとくな」
私は黙って、彼の横に寄り添った。
「あいつが去年、国内FA権取ったのは知ってるだろ」
FA。フリーエージェント権。
それは、日本では数少ない、選手側の権利だ。
長い間球界で活躍し、貢献し続けてきた選手だけに与えられる権利なのだ。
選手は毎年オフに、契約更改をする。
この時選手は、球団から自分がどう評価されているか、を聞くことになる。
自分の価値を認めてもらって、それがどのように年棒に反映しているかを教えられる。
球団からの評価に疑問があったり、もっと見て欲しいところがあれば、話し合いをする。
そしてお互い納得し、契約合意に到るのだ。
不服が残ったまま、契約を更新する場合もある。
どうしても納得できなければ、最悪、チーム退団という道を選ばざるを得なくなる。
通常選手は、所属のチーム以外から自分の評価を聞いてはいけない。
そういう決まりになっている。
だけど、一軍登録日数が条件を満たした時、自分の評価を全チームから聞いてもいい「権利」が発生する。
それが、FA権なのだ。
FA権を「行使」する事で、選手は他球団が自分をどう評価しているかを直接聞き、自分で行きたい球団を選んで移籍できるようになる。
「うんでも、杉元くんは去年のオフ、自分は関カム以外に行く気はない。だからFA権も行使しない」
「他球団の評価を聞く必要は無い。この体を関カムに捧げますって言ってたよ」
「ああ。今でも、あいつはそういう考えだよ」
