私は、ここで暮らしていた頃の杉元くんを思い出していた。
彼はこの街と、二軍施設での生活が大好きな子だった。
入寮して、5年も居ついた。
プロ2年めには既に一軍レギュラーに定着していたにも拘らず、わざわざここから東京へ通って一軍の練習に参加していた。
やがて一軍からは移動に時間がかかりすぎると怒られ、施設からは若手に部屋を空けろと文句を言われ、渋々寮を出て行った。
寮でみんなで衣食住を共にし、出かける時は近所の人たちに明るく行ってきます、と挨拶する。
飲んだりはしなかったけど、ウチにもたまにご飯を食べに来てくれた。
そういえば地元商店街ではお買い物の常連で、毎年年末の現金掴み取りを楽しみにしていたっけ。
そんなささやかな毎日を、彼は愛し楽しんでくれる子だった。
退寮の日はゾーヤママの美容室で髪を切り、爽やかな笑顔を残しその足で旅立っていったと聞いている。
「うん。それはそれで、全然いいよね。どこにも行かないって、杉元くんらしいなって思ったの」
そんな杉元くんは、「不死身の杉元」という二つ名で日本球界では超有名な存在だ。
自分で投げて打たれた試合は、自分で打って取り返す。
最初は「自作自演の杉元」なんて言われていた。
だけどある日のヒーローインタビューで杉元くんが放った「俺は不死身の杉元ですから」という一言がハマりにハマって、その年流行語大賞にノミネートされた。
杉元くんのプレイスタイルは、決してスマートではない。
燃えれば燃えるほど鬼気迫り、相手に真っ向勝負を挑み込む。
だからと言って単純なパワープレイヤーでもない。
相手の力を利用したり、頭を使ってギリギリまでピンチを跳ね返そうとする。
本気を超えた時、彼は近寄っちゃいけない感じのオーラを発散し始める。
彼の背後に鬼神が重なって見える、という人もいる。
勿論、選手としての才能、身体能力や技術は申し分ない。
ただ彼の選手としての魅力を挙げるとするなら、最大はその「不死身」の執念・・・
勝負どころで燃え盛る、その闘志なのだ。
杉元くんを、成績の数字以上に、メジャーは評価していると言う。
「・・・今チームが低迷気味なのは、知ってるだろ」
関カムは現在リーグ4位。
スタートダッシュに失敗し、今は5位転落も危ぶまれる4連敗中だ。
「そうねえ。房ちゃんがいなくなっちゃったのも、あるのかな」
去年の2023年オフ、センターを守っていた外野の司令塔、房ちゃんがメジャーへ移籍した。
トレードで入団してから、素質が大きく開花した房ちゃん。
関カムのセンターポジションに立ちながら、彼の瞳は幼い頃からの大きな夢、メジャーリーグのグラウンドを見つめていたのだ。
まだFAの資格を持たない房ちゃんは、球団に「ポスティング」を願い出た。
あと何年か待てば、FA権は発生した。
だけど房ちゃんはそれを待たず、一刻も早くアメリカへ渡りたいと思っての結論だった。
★★★
ポスティングとは、球団が選手を入札に出し、落札した球団へ移籍させる制度だ。
ポスティングは、球団と球団の話になるので、選手の自由ではない。
選手が球団に「自分をポスティングに出してください」と希望し、球団がOKして初めて交渉は動き出す。
落札額の一部は、球団に入るようになっている。
落札額が大きいと、案外球団は大儲けみたいになることもある。
一方FAでの移籍は、球団への身入りはポスティングに比べて格段に少ない。
★★★
「チームは変わっていかなきゃいけねえからな」
「いつまでも同じメンバーで永久には、戦えん」
「そうだけどね・・・」
分かってはいるが、どっちで移籍するにしても、ファンにとって寂しい瞬間なのに変わりはない。
「でも杉元くんはそもそも球団だって、手放す気なんか無いでしょ?」
「もし宣言するって言ったとしても、必死で引き止めるだろうし」
杢太郎さんはソファの上でどっこいしょ、と座り直して私に言った。
「そう思うだろ?」
「ところが・・・逆なんだ」
「球団は、ノラ坊を手放す計画を立てている」
「は?」
杉元くんを、手放す・・・・・?
「昨日事務所で、その話を聞いてきた」
素気なく低く、目線を落として彼は言う。
「そのあと、ノラ坊に会いに行った」
何のために?それとも杉元くんが、なんかした?
・・・いやなんもしてない、むしろ居なくなったら困るよね!?
困惑して、なんで?なんで?と詰め寄る私に、彼は静かにゆっくりと話し出した。
「順調に行けばノラ坊は、今年「海外」FA権を取得する」
私は、ウンと頷いた。
「ああそういえば最近って、まるで杉元くんがメジャー行きたいみたいな記事、多いのよね・・」
ネットなどではここのところ、話題になっていた。
杉元くんは元々、行使する気はない。
ただFA権取得を見越したメジャー球団が、ウチと交渉しないか?とプッシュしてくるんじゃないかと。
そしたら杉元くんは考えを変えて、メジャーに挑戦する気になって、FA権を行使するんじゃないか?と。
そしたら夢の二刀流、メジャーリーガー杉元がとうとう誕生するぞ!!・・・みたいな。
「あんな書き方されたら、見てる方には杉元くんが、メジャーに気持ち傾いてるみたいに読めちゃうのよね」
「あの関カム大好きさんがFA宣言するとは、私ちょっと思えないんだけど・・」
首を傾げた私に、杢太郎さんがボソッと口に出す。
「FAじゃねえんだ」
私は一瞬意味が分からず、杢太郎さんを?の目で見つめた。
「球団は、ノラ坊をポスティングにかけたがっている」
「あいつの価値が、一円でも高い内にな」
すっと血の気が引く思いがした。
「それって杉元くんを・・・売り飛ばしたいってこと!?」
「はっ、おだやかじゃないねえ」
杢太郎さんは、自嘲気味に、笑った。
「け、けど今年中に杉元くんはFA権とるよ。もう、遅いんじゃないの?」
「それは、順調に行けば、だろ」
「・・・球団も、そこのところは考えてる」
「要は、今年FA権獲得させなきゃいいんだから」
それは、今シーズン残りの日程に、杉元くんの「一軍出場登録をしない」という意味に他ならない。
怪我もしていない杉元くんを一軍の試合に出さないなんて、どうファンを納得させるつもり・・・
ふと、杢太郎さんと尾形くんとの会話が私の心をよぎった。
『スキャンダルにまで仕立て上げた』
その気になれば、ありもしない醜聞を仕立てる事だって出来る、の、かも・・
へんな想像が浮かび、ぞっと寒気が走る。
彼の加わった「特命プロジェクト」。
それは、球団がメジャーリーグのノウハウを学び、後に繋がるパイプ作りのために立ち上げた研修の為のプロジェクトだと、私は聞かされていた。
それは、表向きの話だったのか。
「杉元くんをポスティングにかける」
裏で動いていたのは、杉元くんを、お金に変えるプロジェクトだった。
だけどその為には、まず杉元くんに「メジャーに行きたい」と思わせなくては話が始まらない。
そして、海外FA権が発生してからでは遅い。
FA権があれば、選手は球団に、ポスティングを願い出る必要はなくなるからだ。
「・・あ、あの・・・あなたは?」
恐る恐る、私は聞き始めた。
「そのプロジェクト、で・・・杢太郎さんの担当って、な、なんなの・・」
彼は小さなため息のような一呼吸を置いて、ゆっくり話し出した。
「俺か」
「俺は、あいつの気持ちを変えて来いと言われている」
「あいつの口から球団に「自分を今すぐメジャーに行かせてください」って」
「言わせるまでが、俺の仕事だ」
言わせる。
杉元くんの気持ちを変える。
「それって売りに出すために、無理やり、気持ち操って来いって・・こと・・?」
「関カムに体捧げる、ってまで言った子の気持ちを?」
「そ、そんなの、球団が自分でやればいいじゃない!」
「そんなのGMとかがやればいいじゃん!?」
「なっなんで、杢太郎さんが・・・?」
私が思わず大声を上げても、杢太郎さんは意に介さない。
「俺は見込まれたって事なのかな」
また彼は、小さな小さなため息を吐いた。
肩をだらんと脱力しながら、複雑そうな笑みを浮かべる。
「俺の言うことなら、聞くって思ったんだろ」
「いくら杉元くんが、杢太郎さんに憧れてプロに入ったからってそんな」
「ちょいニュアンス違うけどな」
眉間にシワを寄せて、彼は複雑そうな笑顔を薄く浮かべて続けた。
「しぃ、軽蔑したかい」
えっ、と声を上げた。
なんでそんな事を聞くのかわからなかった。
「あいつは、俺を信頼してる」
「その信頼を、俺は利用しようとしてんだよ」
・・・もう一度、静かな声で聞かれた。
「俺のこと、軽蔑したかい」
「なんで」
「しないよ」
「球団がノラ坊を売り飛ばそうかっていう計画に、俺、黙って加担してんだよ」
「それでも?」
彼は更に自分で自分を嘲笑うように、口角をニヤリと上げて私にそう言う。
怒りに似た感情を、私は押し殺した。
あなたにこんな辛そうな笑顔、させるのは誰なの。
「・・・GM」
「だ、だってGMが」
「関カムを強くするために、杉元くんを不要だって判断したんでしょう?」
・・・そう。編成の絶対権限を、GMは、持っている。
そのGMの役割は、「最強の関東ゴールデンカムイ 」を作り上げる事。
それ以上も以下も、ない。
私は、震え出しそうな声を極力抑え、いつもどおりを努めて、話した。
「あなただってそうでしょ?」
「関カムを、強くするためだから、聞いたんでしょ?」
だけど心の中では思っている。
人の気持ちを無視した作戦に、どんなことにも前向きに取り組む杢太郎さんの性格を、利用されたのだと。
球団はきっと、彼が「できない」とは言わないことを大前提にして、こんな仕事を与えたのだ。
一瞬感情が抑えられなくなり、まくしたててしまう。
「GMが描く、未来の、強い関カムを作る」
「どうせなら、最大金の入る方法で?」
「それがGMの考えなんだもん!それに従うのは、どっこも間違ってないよ?」
そして最後精一杯、彼の瞳をじっと見つめて私も笑った。もう一度、念を押すように言った。
「あなたは、間違ってないよ」
命じられた事ならば、自分を捻じ曲げたとしても、彼ならきっとやり遂げようとするだろう。
そっと彼の髪に指を伸ばした。
頭を両手で包み込んで、胸に抱き抱える。
「杢太郎さん、ありがと・・・話してくれて」
素直に抱えられてくれた彼の頬に、そっと私の頬を寄せる。
少し湿った肌の感触を味わうと、愛おしさがにじみ出てくる。
その気持ちのままに、二度三度、頭を撫でた。
「こんなことしかできないけど」
「いや、充分」
「これで充分だよ」
杢太郎さんが目を閉じ、私の胸の中に、頭のその重さを委ねる。
受け止めると、彼はふうっと一つ、長い息をついた。
杢太郎さんは再びアメリカへ渡り、またこちらへ戻るまで、当初言われてた通りメジャー流のコーチング術を学んだ。
たまに、向こうの有名人とのツーショットや、デカ盛り料理の写真が送られてくる。
事務所でカレーパーティをした、と外人のおじさんたちとの賑やかな写真も送られてきた。
誰が撮ってくれるのか、写真はいつもしっかり笑顔だ。
杢太郎さんが私の胸の中で一息ついた後に、彼と話した事を思い出していた。
見えすいたアメリカ礼讃話を延々と聞かせようか、とか。
いっそ、「行け」って命令してしまえばいいんじゃないか、とか。
どちらも、GMから、それはしてはいけないと言われたのだそうだ。
万が一、選手が「ポスティングを強要された」と声を上げるような事があれば、今時それは、球団存続の危機にさえ発展する恐れもあるからだ。
あくまでも自然に、杉元くんにそういう気持ちにさせる。
それがGMの指示なのだ。
もしかしたら、とにかく行ってしまえば杉元くんだって、案外合うかも知れないのにね、などと。
行ってみないと分からない事だってあるんだから、まずは行ってみるのだっていいよね、などと。
そんなふうに、他人事のように言い合った。
彼が私の脇の下から背中にしがみつくように、その太い腕を巻きつける。
その夜はただしっかり抱きしめ合い、お互いを抱え込むようにして、眠った。
写真の中の彼はワイシャツにネクタイ、たまに派手なスタジアムジャンパー。
明るい笑顔は写真の中では馴染みきっていて、まるで元々メジャーリーガーだったみたいだ。
野球のことだけ、考えさせてあげたい。
そしたらいつも、こんなご機嫌さんでお仕事できるのに。
自分の心になんとか折り合いをつけて、彼はまた、帰国する。
