EP.05 思い出はかくも美しき
今日は彼が帰ってくる日。
マンションに戻ろうとしてると、店の引き戸をドンドンと叩く音とともに、「誰か・・いますか」と聞き覚えのある声がした。
慌てて開けた引き戸の先にはすっかりたくましくなった、懐かしい顔が立っていた。
今は、関カム6番サード・・
「アリコくん?」
「・・・・ご無沙汰していました」
「わ・・久しぶりね。お、父さんの事だよね?よくいらっしゃいました。どうぞ上がって」
来てくれた嬉しさに声を弾ませる私に向かって
「この度は、ご愁傷さまです」
深く頭を下げるその姿は、よそよそしさ満載であった。
「オレはすぐ帰りますから。ただ、親父さんにはあんなに世話になったのに」
「ううん、こちらこそ・・なんだか。あの時は」
「お詫びも、お礼も、何も言いに来なくて。すみません。今更遅いけど」
「そんな・・私の方が悪いのよ、ごめんなさい。本当に、大したことなかったのにね」
謝りあいながら、小上がりに飾ったお父さんの斎壇の前に座ってもらう。
「あ・・・これ?」
手を合わせるアリコくんがお供物の中に気づいたものは、一軍本拠地ショップ限定の、缶に選手の写真をあしらったビールだった。
「アリコ缶ね。お父さんアリコくんを応援してたから、誰か持ってきてくれたのよ」
そうですか、とアリコくんは少しだけ、笑った。
そしてその目尻に、涙が光った。
「お父さん、来てくれて本当に喜んでると思うよ」
「そうかな。オレ、思い出してもくれないんじゃないかって思ってたからさ」
よそよそしかったアリコくんの態度が、少しずつ柔らかくなっていく。
「そんなわけないでしょ、お父さんだって楽しんでいたのよ」
「なんか、恥ずかしいよ。オレ甘えたことばっか話してたような気がするんだ」
「でもレギュラーだって獲得したんだもん。恥ずかしいことなんてないよ」
「今年はまだ分かんないから。もっと、頑張んないと」
おしゃべりしていると、ちょい若かった頃を思い出す。
「傷痕とか、残ってないかい」
「全然なんでもないよ、ほら」
私は両方の掌を、アリコくんに向かって開いて見せた。
「よかった」
アリコくんが笑ってくれた。笑うと、変わってないなーと思った。
「まだその辺にお父さん漂ってるわよ。最近のことも、色々話してあげてよ」
笑いながら言ったら、急に胸がいっぱいになった。
お父さんと、アリコくんと、3人でいろんなお話をしたんだったな。
ああ、お父さん、もう、いないんだ・・・
「お父さん・・・・」
ボロッと涙が落ちた、その時だった。
突然ガラッと引き戸を開ける音がした。
「しぃ?お客さんかい?・・え」
声と同時に振り返ると、そこにはぽかんとした表情で、私に向かって手を伸ばしかけているアリコくんと、泣いてる私を交互に見つめる杢太郎さんが立っていた。
「おい、なんでアリコがいんの」
靴をポイポイと脱ぎ捨て、彼は斎壇の前の二人にドスドスと近づいてきた。
アリコくんはすくっと立ち上がりお辞儀をする。
「菊田コーチ、ご結婚、おめでとうございます」
「ここの親父さんには、新人の頃世話になったのです。せめてお花でもと思い寄らせていただきました。お邪魔してすみません。自分は、これで」
帰ろうとするアリコくんを、ちょっと待て、と彼が呼び止める。
「杢太郎さん、アリコくんうちの常連さんだったのよ。2年目くらいまで」
まだ涙声の私が慌ててアリコくんを庇うような口ぶりになったのが、彼の気に障ったのか。
「待てってば。ゆっくりしてけよ」
「せっかく来てくれたんだ。親父さんとの思い出話もあるんだろ」
「俺にも教えてくれよ」
いつもの陽気な語り口ではない。
斎壇の前で涙ぐむ二人の間を、明らかに何か疑っていると感じた。
教えてくれよ、とは、多分、父の話ではない。
アリコくんと私の間柄を教えろ、と言っているのだ。
アリコくんは、高校を出てドラフト6位で北海道から一人でやってきた。
軽い訛りと人見知りな性格で、しばらく寮生活に息苦しさを感じていたという。
お父さんはそんな彼の話を、毎日のようにここで聞いていたのだ。
当時私は短大に通っていて、ちょうど帰宅する頃・・アリコくんの練習が終わって、店の夜の営業が始まるまでのほんのわずかな時間だったが・・私も、店に来ているアリコくんと打ち解けて、話が弾むことも多かった。
「それは常連さん、とは言わねえよな」
私の一連の説明に、納得いかないようだ。
アリコくんがどうして店に来なくなったかを、話さなきゃならないか・・と思った時、アリコくん自身が、続きを補ってくれた。
「オレが、しーちゃ・・さんを、怪我させてしまったんです」
だけど、悪いのは全部私なのだ。
友達の結婚式の帰り、改札を出たらたまたま自転車に乗ったアリコくんに出会った。荷物を持って少し酔っている私を、アリコくんは二人乗りで送ってくれようとしていたのだが、私の靴のヒールが引っかかって転倒。
私は両手両膝を派手にすりむいて、血だらけになって帰宅する結果になってしまった。
「調子にのってたオレが悪いんです。しーちゃんここに置いて、逃げるように帰ってしまって。親父さんに合わせる顔が無くて、そのままにしてしまった」
「親父さんが亡くなったのは、監督が、菊田コーチの奥さんのお父さんが亡くなった、って言ってたので、知りました」
「親父さんがオレを応援してくれてたなんて、今初めて聞きました。嬉しいけど、感謝しても、もう遅いですよね」
「どうしてもっと早く、いえ、それを言うならどうしてあの時すぐにきちんと謝りに来なかったんだろう。悔しくて、たまりません」
杢太郎さんも私も、黙ってアリコくんの話を聞いていた。涙を堪えて震えるガッチリした肩を、杢太郎さんは撫でさすり、最後に一回バン!と音がするくらい、強く叩いた。
「話してくれてありがとな。今年も頑張って、親父さんを喜ばしてやれ」
「・・・ハイ」
アリコくんを見送ると、杢太郎さんは引き戸をピシャリと閉めて私に聞いてきた。
「それだけか」
「は?」
私は鈍感を決め込んで、何言ってんのか分かんないわ、という顔をして見せた。
「いや、なんでもない」と彼は私から目を背けた。
まだ疑っているようだが、本当に何もない。
ただ・・・正直言うと、当時アリコくんの事をちょっといいな、とは思っていた。
多分、アリコくんもそう思っていた・・ような気がする。
そうでなければ、あの日浮かれて自転車二人乗りなんて、しなかったはずなのだ。
「その後ねえ、お父さんが、アリコにはもう、余計なこと言うなって私に言ったのよ」
「あいつここに入り浸ったら選手としてダメになる。いい機会だから、お前もこれ以上は謝るな、ってさ」
父は、人付き合いが得意でないアリコくんが、チームから浮くのを心配していたのだ。
その後のアリコくんは、チームの中でも特に練習熱心な選手として知られていく事になる。
杢太郎さんがこんな目をするのを、久しぶりに見た。
テレビ越しに見ていたあの、人を射抜くような目線を私に向けて
「アリコは俺より、ここん家と付き合い、深そうだよな」
キツい、口調だった。
