EP.05 8月9月・限界・カムイ - 1/2

杢太郎さんがアメリカに再び旅立って、私は杉元くんの二軍での様子を彼に伝えるようになった。
以前はあまり見に行かなかった練習も、杉元くんが来てからなんとなく見守るようになってしまった。
私が見ていたからって、杢太郎さんのミッションに何か役立つとも思えないけど・・。

「・・・・それでさ、杉元くん二軍戦でも登板はするんだけど、全然ダメなのよ・・」
「打たれる以前に、ストライクが入んない」
「杉元くん自身やる気がないわけでもなくて・・ううん、むしろすごくやる気はあるの」
「それがことごとく、空回りしてるのよ。打つ方も、そんな感じ」

杉元くんは今、東京の自宅マンションから毎日こちらまで通って二軍の練習に参加している。
「普通一軍の試合には出なくても、練習ぐらいは帯同させるもんよね」
「こっちで若いコたちに混じらせちゃ、お互い萎縮してやりにくいでしょうに」

一軍も最下位独走中だし、いち関カムファンとして、私にも言いたい事が若干募ってきている。
「私二軍しか見てないけどね、練習が全然楽しくなさそうなのよ」
「本当にチームを強くする気があるのかどうか、疑問に感じるわ」

不満げにブツブツいう私に、
「・・・あいつ、イップスかもな」
彼が電話口でため息混じりに呟く。

イップスとは、自分の持つ力を十分に発揮できなくなる、身体的症状の事をいう。
普段当たり前にできるプレイが、なぜか、出来なくなってしまうのだ。
スポーツ界には、それに悩まされる選手がとても多い。
理由はひとつじゃないけれど、心因性が多いと言われている。

「杉元くんが?」
考えもしなかったが、言われてみると心当たりもある。

「あいつどうせ、ひたっすら、がむしゃらにやってんだろ」
「できねえできねえ、って周りなんも目に入んなくなってんじゃねえのか」

二人で、ため息ばかりをつきながら話を続ける。
「こう言っちゃあアレだけど、今の二軍コーチじゃ杉元くんを指導できるような人も居ないしさ」
「ほんのちょっとのアドバイスでも、してくれる人が居ればねえ・・・」

杢太郎さんは黙り込んでしまった。

杉元くんは、自分を責め続けてイップスを起こしている。
杉元くんを金に変える計画。
杉元くんは、その存在を知らない。

私は、悪い妄想をしたことがあった。
杉元くんを一軍に登録させないために、何か汚い手が使われたらどうしよう。
ありもしない金銭トラブル、女性関係、素行不良・・
干すために何でも、でっち上げたりしやしないのか、ちょっと恐いと思っていたのだ。

一軍に上げないだけ。試合に出さないだけ。
球団は、それだけすれば良かったのだ。
でも球団にとってのその『ただそれだけ』は、ファンを喜ばせたい彼には、野球をする意味を見失うほどに重かった。

(野球の楽しさを見失ってる今、杉元くんは誰も、自分ですらも制御できないで暴走している・・)

期待した以上の効果で、GMは、喜んでいるのだろうか?
これで杉元くんが、アメリカへ出場機会を求めたくなる、とでも思っているんだろうか?

私は絶対に、逆だと思った。
杉元くんはもう野球を辞めたいと、思ってしまわないの?
こんな事で、杉元くんが野球を嫌いになってしまったら?
もしそうなったら、彼の才能溢れる野球人生は、一体どうなってしまうの??

杉元くんがせっかく好きになってくれた「野球」。
それが、彼を傷つける道具に使われるなんて・・・

一人の野球ファンとして、こんなにこんなに悲しい事は無いと思った。
そんな想像をすると胸がギュンと痛んで、ちょっとだけ涙が滲んだ。

電話で良かった、杢太郎さんにこんな顔見せられない。

私は気分を変えたくて、杉元くんの乙女のようなプンスカ顔を、思い出していた。
「菊田さんはいっつも俺のそばにいてくれないんだからぁ、とかって」
「杉元くん、こっち来てこぼしてたわ。まあ、ふざけ調子だけどね・・」
カラ元気かも知れないけれど、いつも私の前では茶目っ気たっぷりの、可愛い「ノラ坊」だった。

「ノラ坊、来てんの」

「店にね、たまにお昼に来るんだけど・・」
このところ杉元くんは、あまり行動も自由にできなくなっている。
「ファンも記者も、それとなく来ちゃうからね。迷惑かけたくないとでも思ってるのか」
「気にしてるみたいで、ささっと帰るわ」
「実際話相手になれるならいいんだけど、そういうわけにもいかないし・・」

杉元くん杉元くん言う私の話を、杢太郎さんは黙って聞いていた。

「ねえ杢太郎さん、ちょっとでいいから戻ることって出来ないの?あの子かわいそすぎる」

言ってしまってから、いけない、と思った。
私の持つこの感情は杢太郎さんの気持ちを逆撫でし、仕事を邪魔するだけだ。

「・・・ご、ごめん。杢太郎さんのお仕事には、か、関係無かったね」
「ごめん聞かなかったことにして」

「そうだな・・・・」
「次の帰国は、予定通りだから」

静かに話す彼の心の内を、私には測りようもない。

「しぃ、言い訳に聞こえるかも知れんが」
「俺は、本当にノラ坊が、メジャー狙っていいような気もするんだよ」
「しぃはあいつの事、可哀想だって言うけどさ」

杢太郎さんの諭すような声が、優しく私の耳に響く。

「開幕からずっと、あいつの調子が上がんないのを俺なりに見てきたんだが」
「そしたらさ・・今あいつと真っ正面から勝負してくる選手が、まあ、いねえんだよ」

「杉元佐一っていうプレイヤーはな」
「敵がいて初めて燃える、そういうタイプのプレイヤーだ」
「相手が燃えれば燃えるほど、あいつも燃える」
「相手が強大だと、尚燃える」
「つまりあいつのパフォーマンスは、闘う相手に引き出されてると言える」

時折私に確認するような一呼吸を入れながら、彼はゆっくり丁寧に、考えを話してくれている。

「しかし去年までガチで勝負を挑んできた、他球団のライバルたちが」
「今年はみんなして、あいつとの勝負を避けている」
「エースを当ててこないし、打つ方もその場しのぎだ」
「まるで最初から、ノラ坊との戦いを諦めてるようにな・・」

「それであいつの闘志は行き場を失って、心の中で鬱々と燃えたぎってる」
「その真っ黒な炎みたいのに、自分が飲みこまれっちまってるのさ」
「思うように結果が出なくて、ファンを裏切り続ける自分を、あいつは許せない」
「このままじゃ、自分で自分を焼き尽くす」

「それで見てみろ、イップスだ・・・日本国内でこんな事が続くなら・・」
「環境変えてみろって、俺なら言っちゃうね」

メジャーでプレイする方が、杉元くんのため。
そういう考え方もあるんだな・・
「ねえ、杢太郎さん、やっぱり少し早く戻れないの?あなたの口から本人に聞かせてあげたいよ」

「そうしてやりたいのも山々だがな。俺もスケジュールが立て込んでてね」
彼が、優しいけれど冷静に答える。

「そうだよね・・・無茶言ってごめんね」

9月も終わる頃、ニュースが報じた。
杉元くんの、今年の海外FA権発生は消滅したそうだ。
ずっと干され続けていた杉元くんは、今年これから仮に毎日登録があったとしてももう、日数的に満たさなくなったのだ。

球団的なお膳立ては、できた。
後は、杢太郎さんの仕事如何という事になってしまう。
帰国予定は明後日だ。
球団もそろそろ、杢太郎さんに結果を迫る頃かもしれない・・・

 

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

異国の暗い部屋のベッドの上で、闇を見つめる男がひとり・・・

〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜

・・・

しぃ。

俺はこう見えて、たまにすごく怖い夢を見るんです。

激しい爆撃の中を逃げ回っていたり、
瓦礫に埋もれてひたすら朝を待っていたり、
銃口を向けられて、そして実際撃たれたり。

汗びっしょりで目が開いて焦って飛び起きたら、心臓がバクバク、音を立てているんです。
だけどそこがベッドの中だったと気がついて、その時君の寝息が聞こえると、俺は脱力するくらい、安心するんです。

しぃ。

いつも味方でいてくれて、ありがとう。
なかなか口には出せないけれど。

もどかしく、感じる時があるんです。
抱き締めるより気持ちを伝える方法って、これ以上って、無いのかと。

いくら何してみたって、ほんとにひとつになれてるわけじゃない。
結局一人ともう一人だろ?

しぃ。

君の前では頼り甲斐のある、かっこいい杢太郎さんでいたいです。
でも君はしっかりしているから、俺のこと子供くさいオヤジとしか思ってないかもね。

もっと早く出会えていたら良かったな、と思う時があります。
そしたらいいとこ見せたくて、まだ現役続けていたような気もするんだよ。

しぃ。

俺は心配しているんです。
俺ってほんとに愛されているのかなと。
いつもあんなに気持ちいいのに、そんな事言ったら申し訳ないけど。

だけど君はベッドの外じゃ思いのほかクールだし、昔から、お客と俺とが平等すぎる。

君に自覚は無いかもだけど、お客と話してる君は本当に、可愛いんだよ。
お客出身の俺がそう言うんだから間違いないよ。
手際良く仕事しながら、相手をよく観察して、気分良く立ててやって。
表情豊かに笑って、楽しげに驚いて、そして、隙だらけだ。

いつもあんなにしっかりしてるのに、お客の前ではどうしてそうなんだよ。
俺の不在が知れた今頃、誰かにキスのひとつやふたつ、簡単に奪われてんじゃないのかい。

しぃ。

俺は、一人でいることが自由だと、信じて暮らした時期が長かった。
だけど今、ここに居ない君に向かってクヨクヨと、ウダウダと、語りかけている俺は何なんだ。
この時間は、一体何なんだろう。

今の俺には、君と一緒にいる方が、よほど自由なんだと感じます。

君が「寂しい」って言うんだったら、
俺は今からだって空港に突っ走るんだよ。
だけど、あいつのためなら帰れないよ。
器の小せえ男だな。「バカ」って言って、笑ってくれよ。

(暗闇をじっと見つめつつ、左手をぎゅっと握り込む)
(薬指の根元にはまる指輪を、親指でもどかしく撫でさする)

もう、限界なのかもしれない。

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