「菊田さん、敗因を分析しました」
小上がりに通した杉元くんは、前回来た時に比べ、晴れやかで真っ直ぐな目をしていた。
杢太郎さんは昨日帰国し、一眠りしただけだった。
杉元くんから話がしたいと直接連絡を受け、一刻でも早く来いと、ウチへ呼んだのだそうだ。
まさかそんなに真面目に考えてくれるとはなぁ、と杢太郎さんは感激したように笑っていた。
「じゃ、聞かせてもらおうか?」
ハイと返事し、杉元くんがメモを取り出した。
正座をし、背筋をピンと伸ばして胸を張る。
杢太郎さんは杉元くんに視線を合わせ、目でうなずいて自分も姿勢を正した。
「突き詰めると、俺の慢心にあったと思います」
「俺は、寅次も梅ちゃん好きなのを知っているのに、梅ちゃんは俺のこと好きだと思ってて」
「それで寅次に勝った気でいたからだと思いました」
「どうして勝った気でいたかと言えば、それは俺が寅次を舐めていたからです」
「昔から寅次は優しくていい奴で、喧嘩っ早い俺は幾度となく助けられて来たのに」
「俺が何をしてもどうにかしてくれる、許してくれるという、舐めた考えに繋がってました」
堰を切ったように、杉元くんが自分を分析した結果を一気に読み上げていく。
これだけの気持ちを振り返るのは、さぞかし切なかっただろう。
「梅ちゃんを連れて行きたいと教えられた時に」
「俺も好きだと言えば良かったのに、言いませんでした」
「それは、梅ちゃんはついて行かない、と思ったからだった」
「けど、梅ちゃんも寅次が好きなんだと分かって」
ひとつ息を呑んで、杉元くんが最後の一文を読み上げる。
「何も出来ませんでした」
「以上です」
「なるほど」
杢太郎さんは正座を解きあぐらをかき直して、顎に手をやって微笑んだ。
「よく、頑張った」
「負けた理由に向き合うのは、大変な事だ。よく一人で頑張って考えたな」
「ところで最後」
「どうして「何も出来なかった」んだ?」
「梅ちゃんも寅次を好きなら、それはもう仕方がないと思ったからです」
「寅次と戦ってまで梅ちゃんを手に入れるのは、違うと思った・・」
「・・・んだと思います」
「二人が幸せになるんだ、と思ったから・・・かな」
杉元くんが首を傾げ、思いを捻り出すように話す。
「確かに、お前は寅次を舐めていたのかもしれん」
「男として、な」
「一方でお前は、寅次と梅ちゃんを、人として、尊重した」
「彼らが決めた事を、認めた」
「男としては負けた」
「だが、その代わりに取ったものが何かあるはずだ」
杉元くんが俯く。
噛み締める唇は辛そうだけど、ちょっと照れているようにも見えた。
「さて・・・」
「この失恋からお前が何を学んだか、そいつを探すとするか」
「自分より下だとみくびっていた、その相手の方が上手だった」
「慢心で負けたって事なら、そこに気づかなかったって事だな」
「そういうことになると思います」
「気がつかなかったのは失敗だったが、今後そういった場合もあると想定すれば」
「どうすればいいだろうか」
「慢心しない事・・」
「相手が誰であろうとも、常に全力で戦うべきって事・・っすかね」
「まずは、そうだな」
「それでも負けた時は別の敗因があるはずだから、その時はまたその時だ」
「また、考えればいい」
「この分析の目的は」
「『好きな子が出来て、ものにする』には、どうしたらいいのかって話だ」
「どうだ?次誰か好きになったら」
「まず周りに遠慮なんかしないで、全力で取りに行こう。それが今回の結論でいいか」
「えへ、ハイ」
照れ笑いを浮かべて杉元くんは頷いた。
思わず私は横から口を出した。
「ねえぇー。ただ戦うだけじゃダメなのよぅ」
「ちゃんと女の子の気持ちも、考えてからにしてね」
あっと声を出し杢太郎さんは
「俺もマダマダだな・・貴重なご意見、ありがとうございます」
と苦笑いをし、慣れた風に私にウインクを投げる。
菊田さんウインク上手いすねーと、杉元くんは真似して両目をばちばちやっていた。
「何か、その他に思ったことがあれば言っていいぞ」
「梅ちゃんのこと関係なくても、なんか気がついたこと無いか?」
杢太郎さんが何気ない風に言った言葉に、杉元くんは即答した。
「あります。寅次のことです」
杢太郎さんがほぅ、と相槌を打つと、杉元くんは目をキラキラさせ、寅次さんへの思いを語り始めた。
「・・いい奴だから舐めてた、ってさっきはまとめましたけど」
「それだけじゃ言い切れない、甘えてたとか・・なんだろ」
「家族みたいってか、本当の兄貴みたいに甘えくさっていて」
「いつまでも俺の思い通りになる人だ、と決めつけていた」
「だけど寅次は、俺のコマじゃない。一人の男だったって気づいた」
「惚れた人がいたら、そんなの、もし兄弟だったとしても、関係ないですよね」
「俺は、梅ちゃんに今までどおりずっと笑顔でいてほしいと思ってました」
「寅次は、どうやったら梅ちゃんを笑顔にできるのか、そこから考えてた」
「梅ちゃんへの思い方、なんか似てるけど、なんか違ってたな、って」
「俺に言って来た時はもう、梅ちゃんを幸せにできるのは自分の方だって自信があったんだと思います」
「だとしたら寅次にはもう、その時点で負けてた」
「戦わないで勝つ、寅次はすげえ・・って」
「実感わきました。改めて、これが「負け」ってものなんだ、って理解した」
「そしたら、すんごいスッキリして・・・」
「・・・俺って、こんなに負けず嫌いだったんだと思って、可笑しくなりました」
最後に杉元くんはそう言って、自分でプフーーーーーと吹き出した。
持ってきたメモじゃなく自分の言葉で話す杉元くんは、「梅ちゃん」の報告の時よりずっと生き生きとしている。
「いや・・・・分かったよ」
杢太郎さんがクスッと笑って杉元くんの肩をぽん、と叩く。
「お前ほんと・・寅次のこと大好きだったんだな」
「あ・・・・ハイ」
随分改めて言う杢太郎さんに、杉元くんはちょっとポカンとした表情を向ける。
「もしかしたら梅ちゃんよりもさ」
「はぁ???」
何馬鹿な事言ってんすか、と杉元くんはゲラゲラと笑った。
けどひとしきり笑った後、彼は
「・・・そうですね。大好きな、俺の自慢の親友です」
一点の曇りもないまっすぐな瞳で断言し、自分が褒められた時よりも、何百倍も嬉しそうに微笑んだ。
続けてふと思いついたように、彼は少し身を乗り出して話し始める。
「あっ、だけど菊田さん、俺そういえば」
「最近、俺全力で誰かと戦ったとか、そういう記憶ってないんです」
何かの気づきを得た杉元くんに対し、杢太郎さんは少し表情を硬らせた。
「気のせいかもしれないんだけど、誰も俺に向かってこない」
「だったらだったで、自分の仕事すればいいだけなんだけど」
「逆に、冷静にもなれないんです。出来て当たり前だと思うと、尚更余計な力が入っちゃって」
「これも、慢心なのかな」
杉元くんは足元に視線を落とし、内省するように一つ、息を整えた。
「もっともっと練習して、自分も相手も分析しなくちゃ、ダメなんですね」
杉元くんは、真剣な眼差しで話し続ける。
真面目な彼はこうやって、どんどん自分を追い詰めていくのかしら・・私はやるせなく、それを聞いていた。
「お前は、どうして野球続けてるか分かんねえっつってたな」
「そんな状態で、練習だけ続けててどうする」
杢太郎さんがふっと笑顔を見せる。
まあ力抜けよ、と彼は杉元くんの肩を、力を込めて撫でさする。
「分析すべきとこがあんなら、なんで野球続けてるかってとこだよ・・」
杢太郎さんは両手を後ろについて、軽く上方を見上げながら言った。
「お前のカムイに、聞いてみろ」
「俺のカムイ」
「カムイって、アイヌ語で神様って意味なんだろ」
「本家本元のことは俺はよく知らねえが」
「人には一人づつ、ここんとこに神様がいてさ」
杢太郎さんが自分の首の後ろを、ぽんぽんと叩く。
「みんな何かしら、相談しながら生きてる」
「アイヌの神様って、そういう教えなんすか」
「いや、俺が勝手にそう思ってるだけ」
「お前がどうして野球を今まで続けてきたのか」
「お前のカムイは全部、見てたはずだぜ」
おっさんの戯言だ、聞き流してくれよ・・と杢太郎さんは笑った。
「・・聞いてみなくても、少し、分かります」
噛み締めるように、杉元くんが続ける。
「喜ぶ顔が、見たかったからです」
「こんな俺でも、もっとたくさんの人を喜ばせる道があるって」
「梅ちゃんだけじゃない。俺に、野球ってものを教えてくれた人たちが、いる」
俯き加減だった顔を上げた杉元くんの目には、ほのかな光が宿る。
「その人たちに、恩返ししようと思ってました」
「俺のカムイなら「思い出せ」って言ってる気がします。その時の気持ちを」
「・・そういう事なら尚のこと、喜ばせなきゃいかんな」
ニヤリと笑った杢太郎さんは、聞く、というより確認するような口調で杉元くんに語る。
「・・・ノラ坊・・お前はね」
「世界中の人を喜ばせたい、とかは思わないのか?」
ちょっと拗ねたように杉元くんは
「あ〜あ。菊田さんまでそんなこと言うんすか」
がっかりしたように返事をする。
「世界とか、俺はそういうの興味ないんです」
「マスコミは煽るけど」
「まあ最後まで聞けって。お前最近全力で戦ってないって言ってただろ」
「・・・」
「俺もアメリカ行くまで大した実感無かったけどさ」
「あっちにゃバケモンみたいな選手がゴロゴロしてるぜ」
「お前なんか極東のチビ助扱いされて」
「それこそ舐められるか、そじゃなきゃ全力で叩きのめされる」
「だけどそれでもし、お前の闘志に火がつくなら」
「俺は、お前なら、世界中のファンを熱狂させられると思う」
黙り込む杉元くん。
「お前にとって、「恩返し」って、何をすることなんだ?」
「・・・・」
「すぐには・・・いろいろあって。分かんないす」
「だろ?だからカムイに相談するんだよ」
「お前が何をしたいのか、ちゃんと教えてくれるよ」
「俺にいちいち、報告もしなくていいよ」
杢太郎さんが一呼吸置くと、一瞬の沈黙が訪れた。
ポツリと、杢太郎さんがつぶやく。
「・・・答えは、お前だけのもんだ」
焦ったように杉元くんが、矢継ぎ早に言い出した。
「菊田さん、俺は」
「菊田さんにも恩返ししなくちゃいけないんです」
「俺がプロ行き決めたのは」
「菊田さんを見たからなんだし」
「俺はもういいよ。恩返しならしてもらった」
「?」
「のらぼう菜の売り上げに貢献してもらったからな」
まだ何か言いたげな杉元くんを制し、薄く笑った杢太郎さんは杉元くんに
「まあ呑め」
と、脇に伏せてあった新しいグラスを手に取り、自分でビールを注いで手渡した。
