11月26日。
FA受付期間も終わり、プロ野球界はストーブリーグ真っ只中だ。
杢太郎さんたちの「特命プロジェクト」にも、今年度の業績報告会がある。
このプロジェクトの基本は、メジャー流を色々な面から学んでくることだった。
杢太郎さんは、自分がアメリカで学んだ指導法のレポートを作り、報告会に備えていた。
会議が終わったら、二人でお食事をしようということになった。
「ごめんね、杢太郎さんの誕生日なのに。全部手配させちゃって」
「いや、ちょうどいいだろ。しぃもなかなか、あっちまで出る機会ないんだし」
彼が泊まるホテルと、レストランまで全て予約してくれる。
「動きやすい格好で用意してな。フレンチって言っても、そこまでかしこまってないから」
3時頃、ホテルで待機している私に杢太郎さんから電話があった。
ちょっと会議が長引きそうなので、現地集合にしよう。
車を回すようにしておくから、それに乗って一人で行って欲しい、と。
お店の名前と住所を、杢太郎さんが何度も私に言って聞かせる。
小洒落た店名に、土地勘の無い住所。
そんな場所で私を一人にするのは、さぞかし心配なんだろうな・・・
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「前山さん、その節は」
尾形ちゃんに連れられて、彼はやってきました。
仕立ての良さそうなダブルのスーツは、濃いブラウンのチェック柄。
一見無地の茶色っぽいネクタイは、光に当たると角張った波線模様がうっすら浮かびます。
深い紺色のシャツに胸ポケットからチーフを覗かせて、一歩間違えればキザで鼻につくような装い。
だけどどこか重厚な雰囲気は、背筋が通ってガッチリした彼の体型に無理なく馴染んでいます。
「ご迷惑おかけしたきりで、申し訳ありませんでした」
厚い上半身を腰から大きく折り曲げて、彼は僕に深く頭を下げました。
「菊田くんも元気そうだねえ」
僕は正直、何とも思ってません。店やってれば、それなりにある事だしね。
「もしかして、ちょっと、大きくなった?」
僕の言葉に焦った様子で、自分の腹回りをサササっと撫で回す。
彼は相変わらずリアクションが良くて、楽しい雰囲気の男です。
「ウソウソ。気にしてるのかい。全然変わってないよ」
笑って答えると、彼もここで数多の女性を虜にしてきた笑い顔を、僕に返してくれました。
男臭い地顔に、眉がちょっと下がる人懐こいその表情には、女心をくすぐるような愛らしさが滲みます。
男の色気って、こういうとこなのかねえ。
同じ男でも、こうも違うかなとガラスに映った自分を見て思っちゃったりもして。
若い時から彼女が途切れた試しが無い。
色々あった人だけど身を固めたと聞いて、僕はホントに良かったなあと思ったんです。
「俺、すみません、この後ちょっと妻と予定があって」
「無礼重ね重ね申し訳ありません、日を改めて必ずお詫びに上がります」
何も知らない彼が誠実な態度で陳謝する姿に、胸が痛みます。
だってね。
今から1時間ちょい前くらいの話です。
・・・・
「菊田杢太郎は、今晩奥さんとの約束をやぶります」
「ひとりぼっちでかわいそうな奥さんを、迎えに行ってくださいな。場所は・・」
滑舌良くスッキリと、電話の相手に朗々とメモを読み上げるイケちゃんです。
レストランの住所店名を明確に告げ、一旦間を置きました。
使っているのは、尾形ちゃんから渡されてるというスマホです。
「もういちど言います。しぃちゃん奥さんを迎えに行ってくださいな」
ここまで言って、彼女はメモを閉じました。
声が情感たっぷりの、妖しい響きへ変わります。
「モクは今晩、あたしとベッドで過ごします。彼の面倒はあたしが見ますから、その辺は」
「うふふ。ご心配、なく」
男性らしき大声が、電話の向こうで何かを叫んでいるように、漏れ聞こえます。
「これでOKね」
独り言を言いながら、嬉しそうに彼女は電話を切りました。
僕は、聞こえないふりしていました。
良からぬ企み以外、何の気配も感じません。
・・・・
尾形ちゃんたちを個室に通して、僕は教えられたとおり、機材のスイッチを入れました。
部屋のガサガサという雑音が、僕の手元のスピーカーから流れます。
カメラこんな、高画質だったっけ。今まであんまり気にしてなかったからな・・
シンプルだけど華やかなドレスでおめかしをしたイケちゃんが、隠れていた調度の影から姿を現します。
カウンター席に座りモニタを覗き込んで、ふてくされ気味にため息をつきます。
誰に言うでもなく、空間に向かって呟きが聞こえました。
「すんげえおっさんくさくなった」
「結婚なんて勝手なこと、ほざいちゃってさ」
「幻滅したの?」
彼女はフン、と不満げに鼻を鳴らし、俯いてつっけんどんに答えます。
「あんなに好きだよって言ってたのに」
二人が付き合っていたのは、もう5年も6年も前の話です。
普通の男女ならとっくに新しい出会いに恵まれていても、おかしくはありません。
菊田くんが結婚したのを知っていて、彼女は本当に、自分たちが破局したとは思っていないんでしょうか。
カメラは上方に設置されています。
尾形ちゃんが菊田くんに、ソファへどうぞ、と手招きします。
菊田くんは一瞬考えるように立ち止まりましたが、ソファへ腰を下ろしました。
カメラには菊田くんの頭が、斜め後ろ上から映っています。
入り口近くの小さな椅子に座り、尾形ちゃんは話しはじめました。
表情はよくわかりません。だけど音声は本当によく聞き取れました。
こんな時だけど、さすがは尾形ちゃんの仕事だなって感心してしまいます。
「GMから杉元の件を聞かされていたのは、俺とあなただけです」
「こんな海外プロジェクトが、来年も続くとは思えませんけど」
「事情を知ってる俺は、GMと今後も運命をともにするしかないでしょう」
「あなたの方はどうでしょうね」
「役立たずとレッテルを貼られている可能性も高い」
菊田くんは俯き、自分の膝で頬杖を付きながら一つ頷き、答えます。
「上司の命令に望む形で結果を出せなかったのは、俺に非がある」
「だが」
硬質な声で、菊田くんは続けます。
「今日の報告会に出てて思ったが」
「GM以外の関係者はみんな何にも知らなくて、『杉元の残留』を手放しで喜んでいたぞ」
二人とも、どっしりと落ち着いています。
だけど不思議なことに不穏な空気感は、画面越しからでもヒリヒリと、伝わって来るのです。
「一体、本当はどっちなんだ」
「球団は、あいつを手放したいのか、残したいのか」
「本当は、どっちだったんだ」
一言一言を噛み締めるように、ゆっくりと菊田くんが尾形ちゃんに問いかけます。
「あなたは結果を出せなかった、それだけです」
「結果ねえ」
「俺には、俺が出した結果の方が」
「正しかったように見えて仕方がねえ」
静かな低音で言った後、菊田くんはソファから徐に立ち上がりました。
そして座る小さな椅子ごと、尾形ちゃんを仁王立ちして見下ろします。
「お前らは、何を企んでたんだ」
「ノラ坊を売って、何がしたかった」
冷静だった声に少しずつ、菊田くんの感情が滲んできます。
「人の弱みにつけ込んで選手を金儲けの弾にすんのが、お得意だもんなあ?」
「申し訳ねえなあ、いっつも、お役に立てねえでなぁ」
菊田くんが、皮肉に怒りが混じったような声を尾形ちゃんにぶつけました。
ゆっくりと顔を上げる尾形ちゃんは返事をせず、曖昧な笑みを浮かべるだけです。
一転してまた静かに、低い声が響きます。
「・・・選手を金に替えてまで、したい事は何だ」
「お前知ってんだろ?」
「・・・・・俺は、何も」
そっけなく答える尾形ちゃんは、それが何か?とでも言いたげな態度です。
「ああ、言えねえって話かよ・・まあいいや」
菊田くんは一つため息をつき、またソファにどさっと腰を下ろします。
「GMとお前の間に何があっても、俺には関係ねえ」
「ただお前がそこまでGMにベッタリだとは、知らんかったよ」
菊田くんの低音ボイスは、男の僕にさえ心地よく、優しく聞こえます。
「大丈夫か尾形」
距離をとりながらも寄り添おうとするこの話し方は、昔から変わらない、菊田くんの喋り方です。
「他人(ひと)を信じすぎると、痛い目に遭うぜ」
「人の気持ちなんて、いつどう変わるか、分かんねえぞ」
首をコキコキと動かしながら尾形ちゃんが心底ダルそうに、つまらなさげに言い放ちます。
「あなたにご留意いただく筋合いはありません」
「あなたは、天然の人たらしだから」
「ご自分こそ、そういう心配必要でしょう」
尾形ちゃんの声色に、一瞬明らかなイラつきが混じります。
「そのセリフお借りして、そっくりお返しします」
「他人を信じ「させ」すぎると、痛い目に遭いますよ」
