EP.09 泣いてる場合じゃない
そんなこんなでシーズンが終了。なんだかんだで年を越し、またキャンプが始まった。
私は一人で父の法要を済ませた。
そして喪が明けた、その日のことだった。
沖縄にいる筈の杢太郎さんの名前で、東京から荷物が届いた。
知らない人はいないっていうブランドの箱に厳重に包まれていたのは、とても綺麗なドレスだった。
「こ、これ私が着てもいいって事だよね」などと思わず独り言ち、身につけてみる。
落ち着いたワインレッドのカシュクールは、しなやかに私の体にフィットした。
柔らかく手触り良く、仕立てがものすごくいい、多分。
彼にメールを送ると、早速電話がかかってきた。
「どうだ?着てみた?」
電話に出るなり、彼は聞いてきた。
「うん、すんごいキレイ。ぴったり。ありがとう。こんな高そうな・・」
お礼を言い終わらない内に、彼がたたみかける。
「一周忌終わるまで、祝い事なんっにもしなかっただろ。だからまとめて。打ち上げ」
「キャンプ終わったら、それ着てどっか行こう。考えとけよ。じゃあな」
時間がないのに、わざわざ電話をくれたんだろう。
ドレスを抱きしめてピョコピョコ小躍りした私だったが、はたと気づいた。
ちょっと待て、こんなにすごいドレスに合わせる、靴は?バッグは?コートは?
・・嬉しいけれど、軽い絶望感に襲われる。
こんな時、私には頼りにできる人は一人しかしない。
美容室ソフィアの、ゾーヤママだ・・
「ママ、お助けくださいっ」
私は朝イチで美容室に駆け込みドレスを差し出して、事情を話した。
髪を切る以外でここに来るなんて本当に珍しい、とママが豪快に笑う。
ちょうど、娘さんのあっちゃんが練習に出かけるところだった。
あっちゃんは一昨年・・小学6年生まで、球団が主宰する少年野球チームである、関カムジュニアの中心選手だった。中学に上がってからは部活ではなく、隣町のリトルシニアチームに加入し、男の子に混じって日々プレイの研鑽を積んでいる。
「しぃちゃんか、久しぶりだな。お父さんの事は、もう大丈夫か」
しばらく会わない内に、あっちゃんはとても大人びた。
キャップの後ろから垂らした長い髪と、まっすぐ相手を見つめる美しい瞳。
この本当に可愛らしいお嬢さんは、体力、身のこなし、勝負勘まで、男の子たちにまったく引けを取らない名プレイヤーなのだ。
「あっちゃん毎日お疲れ。・・もう少し、チームが近所にあるといいのにね」
「私は野球がやれればどこでもいいんだ」
凛として言い放つあっちゃんに、ゾーヤママが
「杉元みたいになりたいんだもんな。もっと頑張らないとね」とニヤッと笑いかける。
杉元くんはもう、野球に興味がない人でも知ってるくらいの有名選手だ。
野球をやってる子なら誰でも憧れて当然・・なのだが、当のあっちゃんは
「うるさいうるさいうるさい!そういうのはいいんだ!」と何故か耳まで真っ赤にして
「行ってきます!しぃちゃん、菊田コーチを頼んだぞ!!」と照れ隠しの捨て台詞を残し、自転車を全力で漕いで去って行った。
「杉元くんのことが好きなんだ?」
私はお店の壁に飾ってある杉元くんのサインとあっちゃんとのツーショット写真を見やった。
杉元くんは退寮する日ここで髪を切り、あっちゃんが学校から帰るのを待ったんだそうだ。
そしてこれ以上無いってくらいのキメッキメの男前の表情を残し、爽やかに東京へ旅立って行った。
「さあね。本人は大真面目に、プロ目指してるんだよ」
女子が「プロ野球」で活躍する日が、いつ来るだろう。
スピードやパワーじゃ男子にはなかなか敵わないが、グラウンドに立てば、男も女も関係ない。
ただあっちゃんの、頭脳的かつ躍動感溢れるプレイを見ていると、夢は否応無く膨らんでいく。
「杉元くんメジャー行っちゃうのかな。せめてあっちゃんがプロになるまで、待ってて欲しいよね」
「そうだね」
ふふふと笑い合う。・・・まあ、笑ってばかりもいられない。
「えらいもの持って来たね。こんなの現物で初めて見たよ」
「マ・・ママ?これってやっぱり、す、すごいの・・?」
ブランドを明かすとママはうなずいて
「多分買えれば、7、80万ぐらい・・かね。もっとかな」
衝撃が走る。安いもんではないと思ってはいたが・・・・
「ママすみません・・・靴とかバッグとかを見繕ってください・・見当も何も付かない」
「分かったよ。とは言ってもねえ・・・悩むねえ」
腕を組んでママが、私に改まって、問いかける。
「そしてあんた、ヒールはけるのかい」
ゾーヤママは昔からここで美容院をやっている、街の女の子たちみんなのママだ。
ママは、アリコくんと私の小さな事件も知っている。
あの日から、私が一切ヒールをはかなくなった事も。
「もう、大丈夫」と返事をするとママの目に微笑みが浮かんだ。
「そうだよな。あんた菊太郎の嫁さんだもんな。よし、私にまかせな」
ん?菊太郎・・・・?杢太郎さん、ママに菊太郎って呼ばれてるんだ。
ドレスに合わせて髪も軽く結ってもらう。
小さい頃から私の頭を知り尽くしたママの見立ては、完璧だった。
頬を紅潮させて喜ぶ私にママは、私の両親にも見せてやりたいよと満足げに自画自賛した。
そしてただただ、何気ない風で言った。
「あんた実家から出た事なかったしね。急にいろいろあって大変だったろう?」
私も何気ない会話を続ける。
「今もう、そうでもないの。店もやってないし」
「あんまり家にいないしさ・・」
「杢太郎さんは」
?
彼の名前を口にした途端、寂しさに似た感情が急に塊みたいになって、前触れもなく胸の奥から込み上げてきた。
「あれ?な、なんだろ・・ごめんママ・・」
込み上げたものは突然の涙に変わり、自分で戸惑った。
「しぃちゃんはしっかりしてるから」「親父さんも安心だろ」
これは、彼が私と初めての夜に言った言葉だ。
私はあの時、この人に遊ばれたんだなあ、ひどい人だ、と思った。
なのに今はその言葉を大事に胸の中にしまって、お守りのように抱きしめてる。
私が思う「しっかりしてる自分」は、物わかりが良くて、勿論嫉妬詮索何もしない。
杢太郎さんだけを思って家事も完璧で、いつも家に居てニコニコ迎える、そんな女だった。
私はしっかりしているんだから、絶対大丈夫だと。
だけど、気持ちの整理はできていなかった。
毎日簡単な家事だけで時間を持て余し、寂しさや心細さに苛まれている自分。
彼の過去にただ悶々として、杢太郎さんの気持ちを疑っている自分。
そして魅力的な彼に付いていけず、どんどん置いて行かれるような、退屈な自分。
しっかりしてるように、杢太郎さんにそう見てもらいたくて、見せて来ただけなのだ・・。
誰かに聞いて欲しかったのか。
流れる涙に、ママがそっとタオルを当ててくれた。
「きっと・・このドレスも、昔付き合ってた誰か、すごい女(ひと)の口利きなんだろうなって・・そうでもなきゃ・・こんなすごい服手に入るわけないって・・」
いつしか泣きじゃくりながら、私は心に溜まっていたモヤモヤを、ぶちまけ始めていた。
「お父さんいっつも言ってたの。あいつはやめとけ、って・・」
「女がいっぱいいる人だから、って事言ってると思ってたの。でもそんなのもう、知ってるし」
「今いないなら問題ないでしょって思ってたの。だけど何だか、本当に居ないのかなんだかわかんないし」
「モタモタしてる内にいつか、退屈だ、って。飯炊きしかできない女なんか飽きるだろうなって」
「またどこか素敵な世界を見つけて、サッと旅立っちゃうんじゃないかって、不安なの」
しゃくりあげながら、一気に吐き出す。
「所詮、田舎者とは住む世界が違うんだとか。ああ、そういう事かなって」
「お父さんが、・・正しかったんじゃないかって・・」
「恥っずかしいよね、私、30過ぎて」
ゾーヤママが私の背中を優しく撫でてくれた。
「あの人、私の何がいいんだろう」
自虐ぎみに私が笑うと、ママが私に問う。
「菊太郎のこと、好きかい」
私は涙を飛び散らかして、頭を縦に、何度も何度も振り下ろした。
「好き。好き。好きすぎる」
一呼吸おいてゾーヤママが静かに言った。
「それが、しぃちゃんの選んだ道だよ」
・・・はっとした。
あっちゃんは、ゾーヤママの娘。
だけどゾーヤママが産んだ子供ではないという。
まだ小さなあっちゃんが美容室に突然やってきた日を、私も覚えている。
あっちゃんの本当のパパママが誰なのか、私は知らない。
けれど多分それを知っているママが選んだのは、あっちゃんと生きる道だ。
「これは、菊太郎が「あんたの為に」選んだドレスだろ」
上品な赤に、私の涙の跡がいくつも滲んでいる。
・・・私の為に。
その美しい贈り物を、不安の涙で濡らしてしまった。
「その道が正しいかそうでないかは、これからあんたが、決める事じゃないか」
私はママが手配してくれたハイヒールの中から、一番姿勢がよく見えるものを選んだ。
足には相当負担だけれど、出来る限りキレイでいたいのだ。
彼が連れて歩いても恥ずかしくないように。
彼のため、だけではない。
自分が、自信を持って彼の横を歩くためだった。
「やめとけ」なんて、そんなの知ったことか。
彼に飽きられるのが不安なら、飽きられない女になればいい。
マンションでは音が響くので、店で毎日歩く練習をした。
彼からことあるごとに、「怪我は怖い」と聞かされていたので、捻挫や挫傷防止には細心の注意を払った。
歩く姿も様になってきた。
私は、彼が帰ってくる日を熱く待ちわびるようになっていた。
