杢太郎さんが回してくれたタクシーで、指定されたフレンチレストランまでやってきた。
約束の時間を過ぎても現れない彼を席でおとなしく待っていた、私のスマホに差出人不明のメールが一通。
会議が終わったら、杢太郎さんとホテルから、一緒に来る予定だった。
少し遅れるから回す車に乗ってくれ、という彼からの電話に従って、一人でここにきた。
杢太郎さんが到着すれば、普通に楽しいお誕生日のお祝いが始まる・・はずだった。
「なにこれ」
メールを見て、思わず声が漏れた。
(落ち着け・・・)
自分に言い聞かせてもう一度文面を見る。もちろん内容は同じだ。
杢太郎さんへ、何度も電話もメールも試してみた。
電波が届かないところにいるのか使えない。
そんな時不意に声をかけられて、私はびくっ、と体を跳ねさせた。
「しぃちゃんかい・・?」
「驚いた、ホントに居た」
自分で来てくれたくせに、振り向いた私にぎょっとした表情を向ける。
そして怪訝そうに声を潜めて教えてくれた。
「迎えに行け、って言われたんだ」
「あっ、ちょっとねえ、それってもしかして杢太郎さんから?」
アリコくんが、返事をしない。
ちょっと間を取っても、目線をずらすだけだ。
私に気を使っているのかなあと思って、さっき見ていたメールの内容を、アリコくんに教える。
『 杢太郎です。携帯が壊れました。
今晩は帰れません。先に寝てなさい。 』
「来たけど、どうすればいいのかな。ホテルはどこなの」
アリコくんは立ったまま、うろたえている。
きっと連絡を受けて、慌てて来てくれたんだろうな。
息が少し上がって、肩が呼吸と共に上下している。
もうウェイターさんはやってきて、お料理を運ぶ準備をし始めている。
今更、キャンセルも何も出来るはずはない・・・。
杢太郎さんと私のために作られたお料理たちが、そこで待っているのだ。
(お料理が、かわいそうだね・・・)
素敵なお料理たちは、杢太郎さんと私のために、楽しい誕生日を祝うためだけに生まれてきた。
笑顔と会話を華やかに彩るために、祝福を受けている筈のお料理たち。
そのお料理たちにはせめて、最後まで正しく、役割を全うさせてあげたい・・。
「あ、アリコくん、どうぞ座って」
「せっかく来てもらったんだし、お料理がもったいないわ」
「アリコくん食べて行ってよ」
「オレ金持ってきてない。ダメだよ」
「ご馳走する。わざわざ来てくれて、どうもありがとう。だから気にしないで」
私は頭を深く下げた。
「杢太郎さんだってそのつもりで、アリコくんに連絡したんじゃないのかな」
「私こっちじゃ、アリコくん以外知り合いいないしね・・・」
本当にありがたいと思って、その気持ちのままに笑顔が出た。
アリコくんも、釣られるように苦笑した。
気取らない店と杢太郎さんは言っていたけれど、私からしてみれば十分かしこまっている。
アリコくんに至っては、こんないいとこ用の服着てない、と、最初コートを脱ぐことすら躊躇した。
ちょっとずついっぱい出てくる見たことの無いメニューたちに、私は気後れし始めていた。
一応料理でお金をもらっているのに、なんだか恥ずかしくなってくる。
短大で教わったテーブルマナーだって、卒業後は忘却の彼方だ。
「しぃちゃん、こういうとこよく来るの」
と、私と同じように戸惑うアリコくんが小声で聞いてくる。
私は首を横にフルフル振りながら答えた。
「うぅん。初めてよぅ。だいたい東京でお食事なんてもう、十何年ぶり・・」
今日は、杢太郎さんと初めて「東京」でお食事する日だったのだ。
「あははは、マジか。それって血だらけになった日以来って事かよ」
アリコくんから笑い飛ばしてくれて、心の重荷がちょっと軽くなる。
「あは〜〜〜〜そう、そう。恥ずかしい。あの時はごめん」
「オレだってだよ。それより、親父さんなあ。俺のこと怒ってたろ」
「ガキだったんだよな、殻に閉じこもって。変に突っ張っちゃってさ」
アリコくんが目線を外して、軽く空(くう)を見る。
「諦めたのと、おんなじだったんだよな・・・今思えばだけどさ」
アリコくんは、あの日以来・・・父のお参りに来てくれたあの日まで、もうウチには来なかったのだ。
私は、いつも和やかだった、父とアリコくんの様子を思い出していた。
私と同じ歳だから、どこか特別気になったんだろう。
アリコくんが何だか深刻な時も、帰る時はいつも、はにかんで笑っていた。
「私こそ。アリコくん・・実はさ。もうお父さんいないから白状するけど」
「私バカ正直に、お父さんの言いつけを守ってたの」
「言いつけ?」
「詳しい事は内緒だけどね・・私はお父さんの言う事第一だったから」
「お母さん亡くしてからそんな経ってないし、とにかく言う事聞かなきゃな、って思ってたのよね」
「それでアリコくんに、会いに行けなかったんだ」
「行くな、って、言われたのかい」
アリコくんの問いに、私は頷くように俯いた。
「分かるよ。オレが親父さんでも、そう言うさ」
俯く私を励ますように、アリコくんが笑ってくれる。
「・・だったらアリコくんも、厳しいお父さんになりそうね」
お互いで苦笑して、私は続けた。
「だけど私が何にも言ってこないから、気になって練習にならなかったでしょ?」
「アリコくん優しいし、真面目なのは分かってんのにさ、その辺は、ね・・」
ガキだったのは、私も同じ事だ。
アリコくんは曖昧に首を振り、ため息混じりに笑って言った。
「そしたらしぃちゃん、多分親父さんにしこたま叱られたんだろ」
「え」
「19で飲酒して、さ」
と、軽く目配せした。
「かわいそうにな。痛い思いして、叱られたならさ」
「あははは、やだぁ・・・気づいてた?」
そうなのだ。私はまだ20歳の誕生日を迎える前だった。
アリコくんも、19だった。
「ごめんね。アリコくんの9月の誕生日には、解禁しようって言ってたのにね」
「もう謝んなよ。キリがないよ」
「・・・じゃあ、ありがとう。お父さんと仲良くしてくれて」
ペコリと頭を下げた私にアリコくんは、はにかんで笑顔だけを返してくれた。
話しながら、運ばれてきた赤ワインをいただく。
「キレイだねー。おいっしい」
「ほんとだ。すげえうめえ。ワインってこんなんなのか」
並んでいるお肉はかたまり肉なのに、弾力と柔らかさが絶妙に共存して、噛むとじんわり甘みのある肉汁がとろけだす。
複雑なスパイスはお肉の味を生かし、ワインとぴったり合うようにできている。
「いいのかよこんなの食っちゃって・・・」
「ね・・・」
「ねっ、て、しぃちゃんはいいんだよ。問題はオレ」
「もう今日はお食事だけ楽しむ事にしましょ。美味しいものは美味しいで、いいじゃないの」
「たまに大胆なこと言うんだよな、しぃちゃんは」
ニコッと笑顔を見せてくれるアリコくん。
いかつい風貌からは想像できないくらい、本当に温かい表情をして笑う。
「これ・・・行者にんにくかな。でもなあ・・今は時期じゃないし・・」
付け合わせをもぐもぐ食べながら、アリコくんは独り言とも、私に話しかけるとも、どちらにも取れるような感じで呟いた。
「そうなの?ちょっとクセがあるけど、旨味が強くて美味しいね」
「春にさ、裏山でモコモコ採れるんだよ」
「えっ。アリコくんちの?」
「いやじいちゃんちのね。時期は短いけどモッサモサ生えるからさ、採れるだけ採ってくる」
「こんだけ美味しいと、いくらあっても食べちゃうねぇ」
「ああ、ジンギスカン入れると無限に食えるぜ」
ウェイターさんがやってきて、アリコくんに尋ねた。
「旦那様は、北海道のご出身ですか」
んっ、と顔を上げるアリコくんにウェイターさんは続ける。
「旦那様の仰しゃるとおり、こちらは春の山菜でございまして」
「只今当店では、冷凍でご提供させていただいております」
そして今度は私に向かって
「3月4月は、朝採れて空輸した、地物をご賞味いただけます」
「茎にギュッと詰まった旬の甘みは、また格別ですよ、奥様」
旦那様奥様と間違えられているのは、無視した。
食事が終わったので、レストランを出ます、と杢太郎さんへ一応メールした。
泊まるホテルのすぐ近くに、アリコくんのお気に入りの場所があるという。
私たちは車でその公園へ向かい、少し歩こうかということになった。
降りると、外は結構冷え込んでいる。
私はアリコくんの横に並んで歩き出した。
「ねえねえアリコくん、東京の電車ってすごいよねぇ」
ホントすげえよなあ、とアリコくんは笑う。
「昨日ね、レストランに電車で行ってみようと思っててさ、だから色々考えたけど無理で」
「杢太郎さんが見かねてさ、戻るから一緒に行こうって最初言ってたのよ」
「えっ、しぃちゃんあれ分かんないのかよ」
「乗り換えもなんもねえじゃん」
「何よぉ都会人ぶって」
私は怒った素振りで笑いながら、アリコくんの背中を軽く叩いた。
「もぅっ。アリコくんはあれ、全部覚えてるのっ?」
「ははは、ごめん。俺だって自分の使うとこしか知らないよ」
「1%も知らないんじゃないか」
何年住んでてそれなのよぉ、と笑う私にアリコくんは続ける。
「多分菊田さんは全部、頭に入ってるぜ」
「えー」
「俺もそんなに一緒だったことないけどさ、まあ店もいっぱい知ってるし」
「どこからどう乗り換えてどこで降りて、とかもすんげえ詳しかったよ」
「一軍来なくなってからさ、影の宴会部長がいなくなって」
「しばらくみんな難儀してたみたいだぞ」
「影の?宴会部長だったの?杢太郎さん」
「ああ、会計仕切ったり、空いたグラス片付けさせたり、二次会の場所の指示とか、そういうの」
「昔は伝説の芸とかあって、披露してたらしいけど見た事ないんだよな・・」
「元々楽しいこと好きだしな、あの人」
「だからさ、今日は多分」
「引っ張られて、抜けられなくなっただけだよ」
アリコくんは、どこか遠くを眺めるような目線でそう言った。
少し車で来ただけなのに、渋谷の喧騒は遠く感じた。
そのホテルが、東京のどのあたりにあるのか、私は微妙に分かっていない。
二人で公園をぶらぶら歩きながら、華やかなイルミネーションに照らされていた。
メインストリートから池へ向かう時、ほんのわずかな植込みの隙間を抜ける道があるという。
「静かでいいとこだろ」
「俺東京住んでてもさ、こういう静かなとこばっか見つけて喜んでるんだよ」
その植込みの影に入るとライトアップの明かりもだいぶ弱まる。
「あっ雪・・・冷えると思ったぁ」
そっと置かれたベンチに座って見上げると、チラチラと雪が、変光するLEDに煌めいて舞い落ちる。
「こうやって見ると、雪って綺麗だよな」
「うん、テンション上がる。今日外に居て良かったなーって思う」
嬉しい顔をアリコくんに向けたら、アリコくんは私を柔らかな笑顔で見つめていた。
アリコくんっていっつも、優しい顔してるなあと思った。
「地元じゃ思った事無かったな・・ってか、降ったらあぁまたか、ってうんざりしたけど」
「離れて見ると、そんなんまで思い出っぽくなる」
「行ってみたいなぁ、冬の北海道」
「私が見たら何でももう、とにかくキレイキレイ、ってなるんだろうね」
「夏にしなよ。俺からすれば冬に北海道くる人なんて、マゾだぜ」
「なんでよお。アリコくんの登場曲だって、冬の名曲なのに」
「でも失恋の曲じゃん」
「あれ聞くと冬の北海道って憧れる・・・」
言いかけた私を、アリコくんがコートで覆った。
「寒いだろ」
「え、大丈夫よ」
ちょっと、ドキっとした。
そして唐突に思ってしまった。
(もしあの時、私がお父さんの言うこと聞かずに会いに行ってたら)
(今頃こうしているのが、当たり前だったのかもしれない)
