「デートなんて満足にしたこと無かったなあ」
運転しながら、ボソッと彼が呟く。
シーズンが終わっても、すぐ自主トレが始まる。
コーチに就任してから、3年。
今までこの時期・・・というか、空いた時期なんて、彼には本当に無かったのだ。
元々、今回のプロジェクトが終わったら、また現場に戻る予定だと聞かされていた。
他のチームはもう、来季のスタッフはほとんど発表になっている。
けれど関カムは、まだ一人も発表になっていない。
GMの心の中の理想が、杢太郎さんが思っていたような球団の総意ではなかったようで、報告会は少し揉めたのだという。
尾形くんはどうするのかしらね、と何気なく聞いた私に、彼は軽い嫌悪感を表情に浮かべた。
尾形くんとは、最初から何か訳ありすぎる様子だった。
思い切って、経緯を聞いてみた。
尾形の話はもうこれっきりだよ、と念押しして彼は話してくれた。
「昔は飲み仲間だった」
尾形くんは、彼よりだいぶ年下だ。
見かけるといつも一人の尾形くんに、何気なく声をかけたのが最初らしい。
きっといい男二人で飲んでいれば、さぞかし人目を引いただろうと思った。
随分逆ナンパでもされたのかなと思っていたが、そうじゃなかった。
「あいつ、仲いいカップル黙って見てられねーんだよ」
「ん?何それ」
「何かトラウマでもあるのかさ」
「壊れない仲なんて無い、みたいな考え方で」
「カップル見ると、横槍入れないと気が済まねぇんだ」
「俺は、それで、壊れたカップル、いくつも知ってるってわけ・・」
彼は言葉を選ぶように、一言一言ゆっくり教えてくれた。
「それでちょっと、言ってやったらさ」
「自分の横槍程度で壊れるような仲じゃそもそも、いずれダメになるでしょ、ってあいつ」
「・・・・鼻で笑ったんだよな」
「あらー・・でも」
「まあ、それは一理あるような」
私が言うと彼は、マジかよしぃ、と一瞬怪訝そうに声を上げた。
だけどすぐ、分かってない、という風に小さくため息をついて
「あいつはね、槍じゃ壊れんと分かったら、矢でも鉄砲でも何でも持ち出してきて、ぶっ壊れるまで攻め続けんだぜ」
「あっ・・・それは怖いね」
「それで結局ぶっ壊れたの見て、ああ自分はやっぱり正しい、って最後満足して終わるのさ」
「・・・尾形くんってさ、彼女居た事ないの」
「俺の知ってる限りでは皆無だね」
「尾形くんが人を好きになったら、どうするんだろう・・・」
「さあな」
彼は無表情で前を見たまま、ぶっきらぼうに言い放つ。
「何をとは言わんけど、ブッ壊れるまでやっちまうんじゃねえのか」
尾形の話は終わり、と彼が車のスピードを上げる。
もう、私も尾形くんと会う事はないだろう。
(聞きそびれちゃったなあ・・・)
もうすぐ慣れ親しんだ街に着く。
冴えない地元の風景が、近づいてくる。
(おじさんたちの・・あの応援歌、覚えてる?って・・)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「♪ ひゃっぽんほーむらんー ♪」
「尾形ちゃん、随分楽しそうだねえ」
「ええ。今年のチームスコアラーの仕事があまりにもひどいんで」
尾形ちゃんが次年度からまた、チームの先乗りに戻る事になりました。
俺の仕事は俺にしかできないって事がようやく球団にも分かったようで。
・・・と僕に説明する尾形ちゃんは、ちょっぴり得意げに見えました。
また関カムが強くなるなら、それに越した事はありませんよね。
「尾形ちゃんは、人の仕事がひどいと、ご機嫌になるんだね」
「その言い方悪意を感じるな」
尾形ちゃんはふふんと笑って、キーボードを叩き続けています。
「ゆーけゆけゆけひゃくのすけー ひゃっぽんほーむらん」
「で、さっきから何なのよ、その歌」
「え」
え、ってこっちがびっくりです。
気づいてなかったのかい?
「漏れてるよ、さっきから」
「鼻歌。百本ホームラン、って」
尾形ちゃんは、あー・・と一瞬決まり悪そうにしたけれど
「俺の、応援歌ですよ」
ドヤ顔で自分の頭を撫でながら目を閉じて、また得意げに、首を左右に振りました。
「前山さんには応援歌、無いでしょ」
「えー。尾形ちゃん2年しかいなかったのに?そんなのあるわけないじゃん」
僕らが言っているのは、打席に入ると応援団が演奏してくれる、ラッパと歌の応援歌です。
専用のは、ある程度一軍の実績を持つ選手だけ。他は「汎用応援歌」なんです。
僕も尾形ちゃんも、まったく汎用組なんだけど。
「どっかのおじさんたちと飲んだとき、酔っ払って作ってくれた」
「その分、歌詞はえらく素朴で」
「へえ。どんな」
「行ーけ行け行け百之助。100本ホームラン」
「走ーれハシレハシレ百之助。100回ホームイン」
尾形ちゃんのお経みたいな棒読みが、歌詞の素朴さを一層引き立てる。
これはこれで、1回聞いたら忘れられないけどね。
「一試合じゃ100本も100回も無理だから、そういう話じゃないとしたら」
「俺生涯で、ホームランは100本まで。ホームインは100回まで。っていう呪いの歌詞かと思いました」
「どうして頭のいい人は、そういうひねくれた事を考えるんだろう」
画面を見続ける尾形ちゃんの腕に、グリグリ指を捻じ込んでみます。
「嬉しかったなら、素直にそう言えばいいのに」
だけど表情はクールなまま、一切変わりません。
「だいたいそんなこと言っててさ、尾形ちゃんホームラン1本も打った事無いじゃな〜い?」
僕は現役時代ホームランを1本だけど打っているんで、ここだけは自慢できるんです。
皮肉たっぷりに僕が笑うと
「・・・フン」
尾形ちゃんは若干不満そうに、鼻を鳴らします。
「プロジェクトって、終わったの?」
「そうですね、一旦解散・・・」
「一旦って」
「GMが変わったんで、方針もガラッと」
「鉄道とかは、俺は門外漢なんで」
断片的な説明で何となく想像はついたけど、今度は鉄道なのかい。
野球と関係ないところで、今も何かが動いているのかもね。
あのちょっとした事件の後、菊田夫妻が開店前に訪問してくれました。
クリーニングした菊田くんの上着を受け取って、慌てて財布を取り出そうとする奥さんを、二人で止めました。
奥さんはあまり目立たない風の人だけど、よくよく見ると結構綺麗で、彼が連れていた誰とも似てませんでした。
財布を引っ込めながら困ったように笑う奥さんは、眉毛のあたりにどことなく、菊田くん本人に似た雰囲気を漂わせる人でした。
奥さんは何でも物珍しいようで、お店の調度を一人でちょこちょこ見て回ります。
すごいお花飾ってある、と独り言が聞こえました。
あの日のことを僕らは特に言及もせず、お世話になりました、と彼は僕に静かに頭を下げました。
帰り際そっと、お幸せにと耳打ちすると、幸せですよとニヒルに笑います。
末長くねと更に耳打ちすると、大丈夫です、と彼は眉毛を八の字に下げ、やっぱり困ったように笑っていました。
彼らには、何も無かった。それがいいです。
それで、いいんですよね。
・・そんな事をぼんやり思い出していたら、尾形ちゃんが藪から棒に話し始めます。
「ねえ前山さん、年寄の言う事ってどんだけまともに取っていいもんですかね」
「こないだ、ばあちゃんの遺品からこれが出て来て」
